2009年2月27日金曜日

愛が止まらない

テストが終わった次女が、
修学旅行用品の買いモンで、銀座に行こうとウルサイ。
 
(ヤバイ)

今月は予定がイッパイなんじゃ。(オマエにまわす金は無い)

昨日のお買いモン。
文筥として買った、昭和20~30年代の裁縫箱(セルロイド)です。
BAR宗愚のカウンターに鎮座いたしました。

   裁縫箱(セルロイド)

そんでもって、本日やっと届いた落札モン。
自分で云うのもナンだけど、
ダダイスムとかキュビスム、アールデコ等に造詣が深いオジ。
昭和4年に刊行された『カフェー・コーヒー・タバコ』(喜多 壮一郎・著)
当時のカフェーなどの風俗が、詳細に記された御本です。
争った末に落札ゲッチュ!(とーぜん感涙)
もう表紙の字体だけでエクスタシー気分っす。
気が付きゃ、競った煽りで高額になっちまいましたが!(泪)

   カフェー・コーヒー・タバコ

Art Décoの華Josephine Baker』(1927)



まさにベルエッポック!

2009年2月24日火曜日

大正モダニズム

「これアンティークの着物に合うと思うんだけど、どう?」
なんて高2の次女に訊いたオジに、

「ん、んん~いいかもね・・・」

なんて優しく同調してくれた。
因みにカミさんは、「馬っ鹿みたい」の一言で片付けてくれた。

古いモン好きのオジ、男モンで飽き足らず、
近い将来の娘の為にもと、アンティークコレクションに励んでる。

で、買った品ですわ。(これはナイスなお買いモンでっせ)

   指輪(大正時代~戦前)

説明書きには大正時代となってはいたが、(ホンマかいな)
昔の売れ残りの指輪セットです。(12個)
台座が18金のマーキーズカット(6個)と、大きめのバケットカット(2個)、
オーバルカット(1個)、18金の平打(3個)です。
とくに立て爪マーキーズカット(両端が尖った楕円)は、
今の品ではなかなか見ることがない。(レトロでよろし)

ガーネット?、アメシスト?、エメラルド?、
マーキーズ&カボッションカットはムーンストーン?
それとも全部がただのガラス?っすかぁ!

「アンティーク好きのR子さんなんか、似合うと思うんだけどなぁ」
なんて言ったら、
「んじゃーあげちゃえば」って次女が!

(やっぱ、コイツ興味ねーんだ)

野禽

昨晩は、浅草で野禽(ジビエ)食いの夜でした。
江戸の人が野鳥と言ったらここでしょ!

     鷹匠 寿

浅草寺門前の『鷹匠 寿』だよ!(世間的評価は№1)

新橋の鮨店『しみづ』の清水夫婦&北千住『バードコート』の野島夫婦、
それにオジとの極楽至極な鴨三昧の宴でした。(今シーズン初)

いつ来ても、不思議な空気が漂っている老舗です。
お店の造りが妖しい、お運びさん妖しい、大女将もっと妖しい、
筋金入りの若ダンさん、究極怪(?)しい。
その若ダンさんが、オジが食べてきた鴨肉とは違う鴨肉を、
客を薄らっ惚けた話術で笑かしながら、玉鋼製の鍋で焼いてくれる。

オジは車で駆けつけたので、『富士ミネラルウォーター』で乾杯!
他はワインを大量に持ち込んでの酒池肉林の様相じゃ!(ふふふっ)

案の定 深夜の浅草 千鳥足

アリャ!オジ以外みんなボッ壊れちゃった!!!(しーらない)

撮ったけど やっぱ写真は マズいでしょ!

2009年2月22日日曜日

コーヒーの鬼がゆく

今日は家でのんびり過ごそうなんて思い、
さっきブックファーストで雑誌を買い、
成城石井でちょこっと食料を買出ししてきた。

成城石井のレジで財布を出したら、間違えてカラ財布でした。(赤面)
別の店にいる女房まで走り、事なきを得ましたが。(ホッ)
(昨日他のに入れ替えたんだっけ)

BAR宗愚で買ってきた雑誌を開いてみたが、
シニア雑誌も食関係の雑誌も、似たり寄ったりでな~んかつまらない。

特に食雑誌、相変わらずの新店情報に躍起な編集姿勢と、
決まりきったライターたちの上辺すくいの記事には飽きちゃった。(げっぷ~)
却って個人のブログで検索した情報の方が、
辛辣だったりはするが、自分の財布で得た情報は面白いです。
ブログの情報なんてアテにはならない!なんて思ったら大間違い、
結構その中には、キラっと真実(実情)が溢れていると思う。(マジ凄い人も)
(この頃続く、雑誌の廃刊や休刊が分かる気がする)

こんなオジでも、今まで多々取材を受けてきました。
ある意味こちらの手の内を見せることでもありますが、
面白いことに取材する側の人間性や力量を見ることもできます。

取材に来てメモも取らず話も訊かず、
世間話だけで「エッ、大丈夫なの?」って人もいた。
なのに少しして記事となり出版されている。(ナゼ?)
読むと一目瞭然、豆腐屋を頭に描いたイメージで記事にしただけで、
『こだわり』『選び抜いた』『名人』などの言葉の羅列で終始し、
早い話社名の部分を入れ替えりゃ、どの店でも成立するのです。

そんな中で、「この人は違う」と云う出会いもありました。
      (もう十数年も前のこと)

  嶋中 労(本名・小林 充)さん
    (1952年生まれ)

正直慇懃無礼な編集者も多い中、
取材時の小林さんは、
正面から職人と同じ目線で問いかけてくれました。
    (却って怖い)
だから彼の問いに対し、オジも瞬時の戦いを楽しむことができたのです。
彼が誌面上で、オジを『非主流の豆腐屋』と表現してくれたこと、
今も自分の座右の銘としております。

慶応大学文学部卒、
見た目は港区三田の魚藍坂辺りで、撞球なんぞやっていた感じだが、
実はかなりのバンカラな男なのです。(jazzは好きみたい)

彼から著書が送られてきた。

     コーヒーの鬼がゆく

   『コーヒーの鬼がゆく』・吉祥寺「もか」遺聞
       嶋中 労著・(中央公論新社)

文章には、著者の人間性が必ず出ます。
この人の文章には、言葉を着飾ることも、
売る為の戦略も無いのが心地よい。(やはり正面から)
オジごときがやたら語ると、バンカラおやじに張り倒されるので・・・・・

引き込まれる良書で御座います。

白線流し

「哲ちゃん、子供たちが成人したら離婚しようと思うんだ」
なんて、ずいぶん前から言っていた友人と呑んだ。

いつも(まーた、そんなコト言ってやがる)なんて思いながら、
「そーだよ!早くしちゃえば」などと軽く流していたオジでした。
    (出来るワケもねーくせに)

昨晩も(まーた、いつものグチかよ!)ぐらいに聞いていたら、
どーやら本当らしい。

夫婦の問題は知る由も無いが、

ヤツが言った、
「寒い日にうっかりリビングで寝ちゃっても、
 毛布を掛けてくれるのは、もう娘だけなんだ」
には、ちょっと心が痛んだ。

オジは知っている、彼が人一倍家族を大切にしてきたことや、
温度差のある奥さんに、長い時間をかけて心の再生を図ってきたことも。

数日前に娘さんと一緒に呑んだとき、
娘さんが離婚を勧めてくれたと言っていた。

人間関係の中で、誰からも信頼されている友人、
二十年目の卒業の時が来たようです。

   (春ですから)

   地粉の饂飩

今年も卒業式の時期が近づきました。
オジはオジで、今朝は饂飩で『白線流し』です。
(やっと体重が91㌔に、メタボちゃんバイバイ~)

   「美味い」

料理人垂涎の野菜作りの名人・加藤紀行氏から頂いた、
奥様の打った饂飩っす。(自家のうどん粉)
このお方、元パティシエだけあって味覚の基準が高し。

器・清水俊彦(丹波)『朝鮮唐津片口』

2009年2月19日木曜日

ケンコバ

今BAR宗愚でTVを観ていたら、(モチ呑みながら)
ケンドーコバヤシが出演してた。

当然なーんの交流も付き合いも無いが、コイツにゃ思い出があるんじゃ。

オジが京都に出かける時は、『のぞみ001号』と決めてます。
     (東京駅AM6:00発)
たしか2年ぐらい前のこと、いつも通り『のぞみ001号』に乗り込むと、
広い車両にオジ一人でした。(そこはそれ、オジなら当~然グリーン車)

発車間際にもう一人、それも広い車両なのに、
なぜか通路を隔てた反対側に座った。(あっ、ケンコバだ!)
と云っても、元来芸能人には興味は示さないオジ!(いい気になるから)

発車と同時に彼はイビキを掻き、座席からずり落ちる様に爆睡を始めた。
       (お疲れなのねぇ~)
何気にその醜態を観察してたら、
  「あっ!」
通路側の席に無造作に置いてある彼のカバン、(マディソンバッグ型)
そのカバンのチャックは全開で、その上財布が覗いてるじゃあーりませんか!

「ちょ、ちょ、ちょっとマテ!」

何かあったら疑われるのは、
この車両のもう一人の乗客のオジになっちゃうじゃん!

そーなりゃ、もう寝ることもトイレにも行けなくなり、
通路を人が通れば、見張りじゃねーが目を配って番をしてるオジでした。
     (なんでぇ~?)
京都までの二時間ちょっとでしたが、とっても気疲れした思い出が・・・・・
     (なんで、こーなるの?)

   ロンジン

昨日届いた、
LONGINES 23Z 角型 レクタングル 1952年製 (デッドストック)っす。

2009年2月18日水曜日

1945~1952

   ソルト&ペッパー

オキュパイドジャパン(占領下の日本)製のソルト&ペッパーの容器です。
     (動画は返還前の入間基地・旧ジョンソン基地)
1945年~1952年の期間にアメリカ合衆国に向け輸出された物です。
そんな60年から前の品物が、今日カリフォルニアから届いた。

正直素地は焼きが甘く、絵付けも雑ではあるが、
工業製品には無い手作業の温かさが伝わってきます。

戦後の混乱期に大量に作られ、安値で取引された製品だけど、
それは間違いなく日本の復興の礎となりました。

当時日本の港から旅立ったその製品たちも、
60年からの歳月の中で、その大半は消失してしまいました。

運よく現存した品を、たまたまオジがオークションで落札して、
再び日本に帰って来た。

「お帰りなさい、長い間ご苦労様でした」

オジ、なんとなくこの子たちに縁(えにし)を憶えました。

2009年2月17日火曜日

Panic

当たり前にあるものが、ある時突然姿を消した。

いつも清冽な水が湧いている豆腐屋の井戸、
その絶え間なくこんこんと溢れてる水こそが、豆腐屋の命で御座います。

なのに昨日の夕方のこと、地下水の汲み上げポンプがブっ飛んだ!
    (即ちパンク)

「ぎゃー!み、水が出ない!」(ピ~ンチ)

今日から一週間は、メンテナンスの為お休みですわ。

と云うわけで、そうだ!京都にでも行こうかなぁ~!(本諸子でも食べに)

なんて冗談でして、昨夜のうちに優秀な職人さんによって修理完了でした。

   「ホッ!」

井戸が壊れることなんて滅多にないわけでして、
(せいぜい十年から二十年に一度)
そんな時だけ井戸屋さんに電話してみると、(超久しぶり~)
時の流れは恐ろしや、廃業してたりお星様になっちゃってたりで、
その度タウンページのお世話になっております。(今回で三軒目)

   筆箱

コレに合う写真が無かったので、最近買ったプラスチック製・筆箱
        (昭和40年代)

2009年2月15日日曜日

さり気に

今日は久々にBAR宗愚の大掃除、(やっぱワインを飲みながら)
どーにか綺麗になりました。
カウンターの上のボトルの埃を拭い、気分転換に照明の笠も取り替えた。

   アンティーク電笠(フランス製)

25年ぐらい前に買ったフランス製アンティークです。(どーどす?)

先日もまた、使う予定も無いのに買ってしまったこんなん。

   大正時代電笠(日本製)

階段の照明もコレに替えてみた。

   アンティーク電笠(フランス製)

ええ、なんとなく自慢したかっただけですわ。(ほな、また)

Apprenticeship

この店に職業体験授業できた中学生が、(三日間)
その感想をまとめたレポートを後日先生がお持ちになった。

そのレポートの中の『職業体験で一番印象に残ったこと』って部分に、

≪店主さんが、「一攫千金は有り得ない」と言ったこと≫

なんて書いてあった。(アチャー、それっすか)

まぁ確かに言ったわな!

歳相応、分相応の大切さ、何を生き急ぐ必要があるのかってこと。
下積みをきちっとこなした人間の、底力を知っているからね。(オジさんは)

思いがけずそれを書いてくれたことが、チト嬉しかったりして。

今宵一人で豆助は、『神田鶴八』で人生のお勉強の日。
小僧時代(下積み)をたっぷり経験済みの田島さん(店主)、
当店の豆助のことをとても目に掛けてくださいます。

卒業と同時に家業に入り、まったくその時代を知らないオジ、
良き出会いより、ただシビアで冷酷な取引先が育ててくれました。
  (おかげで全身バネとなりました)

小僧時代真っ只中の豆助が、チト羨ましくも思える。

   ミルトンダフ

ミルトンダフ10年 (ゴードン&マックファイル)
素晴らしい芳香でスムースな味わい、非常に心地よいモルトです。
このモルトはバランタインの核となる原酒です。
若い分シャープで爽やかな味です。

大分酔ったです。

2009年2月13日金曜日

CLALIS様

CLALIS様へ!

僕も所有しております。

   ぶがってぃー

よかったら何時でもお貸しいたします。

今度ご一緒に、Mille Migliaに参戦いたしません?
       (フフフッ)

若い奴ら

若い頃から鼻っ柱の強さだけは人一倍で、
良く云やぁ~作り笑顔もお世辞も言えない、(意地でも言わない)
本音トークだけで生きてまいりました。(この私)

ただ、この頃交流を持つ若手の同業者や料理人たちの、
怖いもの知らずのアグレッシブさには、
このオジさえも怯んだりたじろいたり・・・・・・

「まぁまぁ、あんまり他人と軋轢は生まん方が・・・」なんて、

当時も今も自分じゃ出来もせんことを言っているオジです。
まぁ今の若手はそれだけじゃない、
しなやかなしたたかさを持ち合わせてるのも凄いけどね。

若い奴らと呑むと、
そのエナジーを貰うよりも魂を抜かれてしまいます。
生きてきた時間の分、
知恵はあるつもりでいたが、奴らの前じゃ非力ですわ。

ギラついてる眼差しを見ていると、
「その甘っちょろい考えを潰したるわい」なんて、
また違った気力は湧いてくるけどね。

奴らが撒く、祝い事の紙吹雪のごとき散華の元じゃ、
まーだ眠りたくないもんね。


井戸の周りの梅の花も散り、
紫陽花の新芽を覆っていた殻が開き始めました。
今年はそんなに寒い日もなく、過ごしやすい冬でしたな。
トレンチコートも一重のまま、(裏地は外し)
スプリングコートのようで、軽やかに街を闊歩できたオジでした。

    「ヘ~クッション」

毎年のこの時季はホットウヰスキーが定番でしたが、
気が付きゃ今シーズンは一回もやってない。
その為にわざわざオークションで落札した品も、
箱に入ったまま封印も切らずに、カウンターの上にほったらかしでした。
去り行く冬に、今宵はお湯割りウヰスキーで乾杯しませう。
フーフーしながら呑むのも嬉し。

     ジャグ

ブレンデッドのスコッチ、『KING of KINGS』ですわ。
お湯割りにゃ、前にも書いたがオジはこれが一番合うと思う。
ほんのり甘口で、ホットでやればついつい笑みがこぼれちまう。
ましてや1960~1970年代の古酒ですから、(箱とジャグの栓から推測)
その歳月がどんな味にしているのやら。

2009年2月11日水曜日

ショコラ

甘いモンはデェ好きである。
真冬でも銀座・鳥ぎん前の路地で食う、
Pierre Marcoliniのジェラードは欠かせんし、
DEL REY のチョコも、(サロンで)
けや木坂通りの LE CHOCOLAT DE Hもホント美味いと思う。

ただねぇ~!この時期は大混雑で、
その行列に並ぶのもジジイの身では恥ずかしい。

バレンタインは女性の脳内麻薬が増殖されるのか、
ショーケースを覗くお顔も、どことなく目の周りが薄っすら紅色な感じ。
それに選ぶ時間が、長いコト、長いコト。(混むわけじゃよ)

まぁ余計なお世話だけど、
世の美しく(じゃ、なくても)若い(じゃ、なくても)女子たち、
恋の『大願成就』を祈ります。

     豆助、団子を食(は)む

この時期は、北千住の『槍かけだんご』で憂さ晴らし。(美味いでぇ)

2009年2月10日火曜日

ソワレ

最近オジが、妙に気になるモンに『東郷青児』の絵がある。
オジが子供時代、ちょっとした純喫茶の壁にはよく飾ってあったっけ。

クッキーの缶やカレンダー、包装紙などのパッケージなど、
家にも街にも至るところにその意匠が溢れていた。
そのフィールドの広さには驚くけれど、
弟子が描いた絵もその中に大分あるとか。(なるほどね)

油彩だってそんなにお高い方じゃないけど、(他の画家さんに比べ)
そこまで欲しいわけじゃないし・・・・・
けど現行品のリトグラフやシルクスクリーンに、
十万も二十万も払うのも勿体無いしなぁ・・・・・(でも欲しい)

めっけましたよ!骨董屋さんで、
当時(1932年)モンの『美術絵葉書』を。(1.200円)

       1932年じゃ、宇野千代と同棲中じゃん
           『N夫人と飛行機』

フランス留学から戻ったばかりの初期の作品なので、
戦後の甘くもの哀しい青児スタイルではないけれどね。

小さな額に入れりゃ、リッパに鑑賞絵画です。(オジはこれでよいのです)

青児を眺めながら、今夜もマッタリBAR宗愚で呑んでいます。
ここんトコ、一週間に2本ペースでボトルを空にしてるオジ。
   (チョイいけませんね)
チェイサーは嫌いなモンで、呑む前に牛乳は飲んでます。

今一番のお気に入りはこれ!

   

ブナハーブン  ピーティド10年 1997 シグナトリー 54.5%

2009年2月8日日曜日

凌雲閣の下で

豆助と浅草へ!
しばらくぶりの『弁天山 美家古寿司』でのお寿司。
現在東京で一番の老舗、頑なに江戸前を守ってるお寿司です。

語弊はあるが、町場の寿司屋の最高峰で御座います。
銀座辺りのお客を選ぶような野暮な鮨屋と違い、
誰でも安心して美味しい寿司を味わうことができます。

職人の大ちゃんに撮影の許可を得て、
撮ったはいいが皆ピンボケでした。(残~念)

カジキマグロの昆布締め美味し、煮蛤も春の予感を感じさせる味でした。

   伝法院通りの和装店

伝法院通りをそぞろ歩く。(シュール)

実に分かりづらい路地の奥、オジ好みのアンティークのお店を発見!

    『東京蛍堂

大昔の食堂&カフェー&連れ込みだった建築で、(明治~戦前)
連れ込みの部分の天井の壁紙は、当時のままラメ入りなのには驚いた。
小さい店なのに段差や奥行きで、まさにLabyrinth ですわ。
戦前の浅草六区には、
ゴーリキィの『どん底』の世界が、ごく当たり前にあったんですな。
  (よーく観てごらん、今もあるよ)

   東京蛍堂

2009年2月7日土曜日

乙女の祈り

深窓の令嬢ってほどではないが、Y子ちゃんはお嬢さまでして、
オジより一つ年長の小学校ではお姉さん的な存在でした。
クラブ活動(郷土クラブ)では、よく一緒に神社仏閣を訪ねましたが、
お育ちの良いY子ちゃんは、住職さんのありがたいお話も、
きちんとノートに記すような優等生で御座いました。

熱心にピアノを習い、
音楽室で『乙女の祈り』を弾いていた姿がとても印象に残ってる。
(当時『明色アストリンゼン』のCMで、オジもその曲は知っていた)

Y子ちゃんは中学を卒業後、華の東京の音大付属高に進学し、
しばらく経って、確かオジが高一の夏休み前ぐらいに、
駅前商店街でバッタリ再会した。

Y子ちゃん、長いスカートで茶色いリーゼント風の髪、
当時のツッパリの必須アイテム、△●◆バッグを提げたイデタチ。
似たり寄ったりのオジでさえ、
思わず「Y子ちゃん、何が何してどーしたの?」
なんて驚いた記憶があります。

少しして、そのカバンを「欲しきゃー、もってきなぁ」なんて言ってくれ、
「ラッキー」なんて手を出したら、
「タダじゃねーよ、三千円!」
なんて、買わされてしまった。

それでも彼女は、無事に音楽大学を卒業し中学校の先生になった。

先日郵便局でまたバッタリ!(二十数年ブリ)
現在は普通の主婦に納まり、実家の経理を任されているとか。

若い頃の宇野千代さんに、嘘の様に瓜二つのY子ちゃん。(濃厚)
(『スタイル』を発行・編集していた頃の)

お嬢さまだったY子ちゃん、これも女の性(さが)なのでしょうね。

こっちの『乙女の祈り』は、オジの愛唱歌っす。(ゴーゴー)
(歌っている歌手は、けっして吉本新喜劇の女優ではありません)

        鉛筆立て

      昭和20~30年代のセルロイド製・鉛筆立て
        (温度計がオシャレのポイント)

福臨門で

緊張の中で過ごす食事は苦手です。
ましてや主催者なんて立場では、
せっかくの美味にも集中できないし・・・・・

そんなオジもその夜は特別の例外で、銀座『福臨門』での至上の時でした。
  (って云うか、他の人なんて構っていられなかった)

   卓上の世界

たとえば『蟹肉干撈魚翅』(蟹肉入りフカヒレ、上湯添え)は、
蟹肉入りのふかひれと上湯(スープ)が別皿もりで、(目がテン)
最初は少しだけフカヒレを楽しみ、その後上湯を注いでまた味わう。
フカヒレの旨さをしみじみ味わえましたな。
それを食す間、誰もが無言でしたもん。

上湯(ショントン)の、な、な、なんと素晴らしいことよ!
口中に含むと、ヴィンテージのマッカランのようで、
幾億万の分子たちが悠久の潮流となり、
まことにそれに似付かわしい、
ゴージャスなオジの肉体と一体化していきました。(ブラボ~中国四千年)

   極上のフカヒレ

宴の数々の料理に驚き、喜び、笑った。
そして知ってしまった幸せと不幸せを、切実に感じた夜でしたね。

最上級の素材と最高の料理人、その双方によって生み出される美味たち。
すべてに関して妥協の無い姿勢が、
中国料理界で頂点に立ち続ける『福臨門』たる所以なのでしょうな。

   料理長

            料理長・張漢華さん。


メンバー(食べ手)たちの生活や習慣まで考慮し、
それぞれの仕事で指針と成り得る料理の数々、
そのすべてを手配してくださった小倉エージ氏に感謝いたします。

2009年2月3日火曜日

黄昏に一服

なぜかうちの娘達は、日本のトラディショナルな和菓子にゃ目も向けぬ、
やれマカロンだ、今の時流はエクレアだ!などと西洋一辺倒。
       (君たちナニ人?)
日本人なら、羊羹だよ、琥珀糖だよ、きんとんだよ、村雨もあるでよ!
買ってきても、ぜーんぜん喜んじゃくれない。(結局独り食い)

せっかくの『千茶』の上生菓子、とっておきの茶碗で一服といきますか。

いーもん!独りで侘びて寂びちゃうもんね。

そう云えば、たまーに思いもよらず出くわす茶席の場、内心ヒャ~っと凍りつく。
 (そんなコト聞いてねーよ!えーと、三遍回ってワンだっけ?)
そんなオジの気持ちを察してか、
亭主曰く、「お好きなように、ご自由にどーぞ」
それでも冷や汗、作法も知らない無知な自分が恥ずかしい。

「パパ、お茶でも入れようか?」

「ん~ん、キャラメルマキアートにして」

   銘・夜の西麻布
       作・前田正博(銀彩色絵磁器茶碗)
           銘『夜の西麻布』

2009年2月2日月曜日

散策

頭の中に地図がインプット出来てる街は少ないが、
オジがお稽古事で長年通ってた街、浅草の道路網は結構OKなんですよ。

ミニスカに網タイツのお婆さんがのんだくれていたり、
ヤバ系の露天商の周りでは、結託したサクラが茶番劇をしてたり、
場外馬券売り場じゃ、パジャマのまま馬券を求める家族連れもいる。
なんて云うか、懐が深いつーか、
たしかにジャンクが溢れてはいるが、決して冷たい街じゃないんだよなぁ。
オジ、なんか好きなんです。(相通ずるモンがあるのかも)

国際通りや言問通り、雷門通りに挟まれた観光的な場所よりも、
その外枠がまた面白いのが浅草のエグ素敵な魅力です。
とくに観音裏はプチ名店の宝庫で、鮨屋さんの密度の高さは凄いです。
 (扉に『会員制』とある、怪しい&吹き溜まり系BARも多い)

昨日は鳥越の後カミさんと待ち合わせ、
何時もどおりに名店『ゆたか』でこれ!

   ゆたかの豚カツ

普通の豚カツ(ロース)ですが、きちんと美味しいですね。
今風の肉の中心部がピンク色のじゃなく、
ちゃんと熱を通してあるのも、食べ物商売の責任を感じます。
キャベツも切りたてで、たぶん水に晒すことはしていない。(これもナイス)
真っ当な仕事と歳時記を熟知した室礼、
お世辞も無いが目配りの出来たサービス、大人のための豚カツ屋さんですね。
 (いつも頼む酒の肴、ここの『烏賊塩辛』は超絶品ですぜ!)

帰りがけには、雷門柳小路『千茶』さんで上生菓子を買った。
京都では茶道と共に発展した和菓子ですが、
江戸は料亭文化の中で育まれたそうです。

違いは雅な色彩の京都に対し、地味な色合いの江戸、
大きさも少し小さ目なんだそうです。

   若松
            『若松』(三方押し)

店主さんが一人で営む小店です。
「東京に最後に残った江戸菓子の店ですが、私の代で終わります」
なんて仰っていた。
これこそ江戸の誇りです。(消滅前に食べましょう)

2009年2月1日日曜日

江戸っ子の女房

台東区鳥越の知人宅まで出かけた。
元材木商の親方が去年の十月に奥様を亡くされ、
その奥様にも大変お世話になっておきながら、
お悔やみが今日になってしまった。(恩知らずなオジです)

毎年『鳥越祭』で神輿を担いて早十数年経ちました。
「今年もお世話になりまーす!」なんて図々しくお邪魔して、
呑むわ、食うわ、酔っ払うわ、風呂まで入るわ・・・・・
いつも笑顔で迎えてくれた奥様は、
「せっかくのお祭りなんだからね、小野さん遠慮なんかしてちゃダメ」
次から次へ、酒、酒、肴、飯、また酒と、御接待してくださった。

遺言どおり家族だけの密葬だったそうですが、
その人柄ゆえ、聞きつけた人たちが家の前に列をなしたとか。

    (合掌)

   おととし

「せっかくのお祭りなんだからね!」(涙)

お出かけ前

BAR宗愚のTVがボッ壊れて数週間、音声は聞こえるが画面は真っ黒です。
液晶薄型で買って5年ぐらいですが、地デジ対応じゃないので買い換えマスだ。
そりゃー時計がわりにつけっ放しだもんね!壊れるのも早いワケじゃよ。

毎週お楽しみにしてる番組は少ないが、
日曜早朝の『新日本紀行・ふたたび』は毎週欠かさずです。
しゃーない、まだ寒いリビングに移動してスイッチオン。

いろんな地方で営々と暮らしている人々、
その25~35年の時の流れの対比は興味深いです。
とくに今朝観た但馬地方の牛飼いさんたちの、
何世代にも渉り積み上げてきた『土と共に生きる』姿勢、
その生き様には、オジすっかりやられちまいました。
  「牛でも飼うかなぁ」←(冗談)

   今朝のおめざは紅茶です

今日の始まりは紅茶、それもローズティーで!(なんとなくオチャレ)
(ティーカップは昭和30年代のノリタケ)